昭和49年08月27日 朝の御理解



 御神訓 一、「人の身が大事か、わが身が大事か。人もわが身もみな人。」

 先日久留米の佐田さんだったでしょうか、お知らせを頂いておられるのに、今の合楽というか、今の、時代とでも言うでしょうか。信心のない者に信心を伝える。言うならば人のお供えが一番だと。しかも急務だという意味の事を頂いておられます。その事を練らさせてもらいよる時に頂いたんですけれども。地球上に死相が現れておると。地球地球はもう死相を呈しておる。人間が無くなります時には、言うならば死相が出て来る。もう死相が現れて来る。
 今はそういう言うならば、寒天危地の時代なんです。寒天と言うのは寒い天ですね。きは危険の危危ない。地球上に死相が現れておるほどしの、言うならば死ぬか生きるかと言う様な瀬戸際にあるような大事な時期と言われる。そこでです私どもがいわゆる歓天喜地。神様がこれは歓の天。歓びというのは歓喜の歓ですね。それから下のきは歓喜のき。下の方の喜です。歓喜と申しますね。
 いわゆる喜地大地の地です。神様がそういう時に例えば地球を救う。全人類の上に思いをかける。そしてそれをです自分の足元から。一人ずつでも良い、神様の御恩恵が分かり、御恩徳を分からせて貰う氏子を神様へお供えをする。そういう生き方に、いよいよなればです、その死相もシソ梅の漬ける時に、シソ葉を使いましょう。あのシソしそを頂くんです。あれは濃い紫です、シソの葉というのは。例えばねこれは、幹三郎が病気を致しました時が、私が奥城で頂いたのがこのシソでした。
 もう死相が出るほどしの事だけれども、信心如何によってです、例えば死相をシソに変えて行く事が出来る。安心だと。そういう意味の事を頂いた事がありますが。地球上これはまた大きいですね。人間一人の死相でなくてから、もう地球全体に死相が現れておる。あれは何時でしたでしょうか。今の新館が出来る、あそこん所へ大きなモミの木がお供えになって、献木があっておりましたがね。一二年はこう芽が出ましたよ。
 けれどもちょうど庭造りに見えておりました、あの梅李先生がもうこの木は死相が現れとるち言われました。これはほんなもんじゃなかち。だからこれは枯れますよち。したらあぁた青々とこう芽が出よるじゃないですかち。いいやあれは死相だち。という事を言われたが、もう本当に枯れましたもんね。植物にでもやっぱそうです人間もそう。けども今は地球上に死相を見るほどしの大変な時代だと。いわゆる地球の危機。総人類のいわば危機と言われるのは、そう言う事だと私は思うです。
神様の一年は私どもの千年に当たるという事です。これはキリストが言っておられる言葉だそうですね。人間の言うならば千年は、神様の目からご覧になると、一年。それを地球上のそういう危機をです、六千年前に予言してあった。だからその六千年を換算するとです、ちょうど今が六年目に入っとる。だからそんならまだ千年はあるという風に思うでしょう。一年が千年なら。
 けれどもその千年も終わりに近いと言っております。神様の目から見りゃ、私どもの一年、もう地球は後一年しか持てないと言うのが、いうならば神様の一年です。神様の一年は、人間の千年にも当たるのだから、まだ千年もある。その千年の内の最後の所になっておると言われるのですから。成程色々な心ある人達が、地球上の様々な前知らせとも思われるような出来事の中に躍起となって、世界いわば人類の総助けと。例えば大阪の泉尾の先生なんかはそう言うて、今世界中を周っておられます。
 旅行に出ておられます。それを世界総助けという風に自分で言っておられますね。私もそれを感じます。確かに今の地球上には、もう死相が出る程しだとこう思います。出ておると思います感じます。けれどもそこに救いがある。ここにです本気で皆がです、今合楽で言われておる、合楽示現活動に参画させて貰う事を願わせて貰うて。それが本当の助かりになる一石を投ずる事によって、それが波紋になるほどしの広がり。
 それこそ燎原の火のように広がって行くほどしのおかげを頂いたら、まぁだ今から間に合わん事はないという事です。人の身が大事か、わが身が大事か、人もわが身もみな人だ。自分一人が助かって、それで、いわゆる極楽だと言うておる時代はもう過ぎた。マイホーム的なおかげではいけない。それを周囲に広げて行く。広げて行くという事も、中々至難である難しいのです、実は反対の波紋が来るです。
 パーっと折角光の波紋が広がって行きよると、今度は反対な波紋が、またバーッと寄ってきて、折角の波紋を消すような事もありますけれども。そこん所を一つ本気でね、私どもがそういう事に屈せず、やはり有り難い光を広げて行く所の精進をしなければいけません。昨日福岡の池田さんがお届けをされました。昨日一昨日、もう17年か。いわばこのリュウマチで、もう体が崩れておるような。もうこんなイブシコブシのごと、こうなってなさる方をね、お導きして見えました。
 そして本当にご主人と二人導いて参りましたけれども、お導きして参って帰り道々悲しかったて。折角こうやって連れて参って貰うたばってんとても私は難しかち。そん時は沢山お参りがあっておりました。それで皆さんが有り難そうに拝んでおられたり、有り難そうにお話を聞いておられるのを見るにつけてもです私は駄目だち。だからもう誘いには来て貰わんでもいいですけれども、まあ一日だけでもああしてお参りさせて頂いただけ、その事のお礼を言うて下さいと言うて。
 お初穂を持って見えたそうですお礼に。今までは信心のおかげを受けるには、やっぱりおかげの受け物がいるんだとして、一生懸命に皆さんも勉強してみえられた。そん為には本気で本心の玉を磨かなならん、改まりもしなきゃならん。それはどこまでも人力の時代であった。人力を捨てて、いわゆる神力に縋るという時代に入っておる。自力から他力の時代に移っておるのが、現在の合楽。25年がかりでようやく他力を悟らせてもろうた。他力が主であり自力は従というような感じである。
 だからこそ神様もです、例えばそういう風にねうたがうてかかったり、受け物を持たない者にでも、おかげをやると神様が仰るのですから。そういう時代ですよ。いわゆる願う氏子におかげを授ける。分からなくても疑うてかかってきても。神は信ずる者を信ずるとこういうふうに頂いて来たのですが、信じなくても良いて。疑うとってもそこに難儀があるなら、難儀を救うて助けてやって、神を認めさせなければという働きが、今合楽に起こっておるのです。
 先日から秋永先生が導かれた、福岡の方なんかは、もう死ぬるばかりのところだそうです。例えば生きとってももう内臓が、ごちゃごちゃになっとると言われるほどしだった。それがおかげを頂いて、昨日一昨日でしたかね。遅うにお礼に出て見えました。もう退院も間近だ、医者もたまがった。そういう時代なんです今は。それでもです今言うように、折角光の波紋が広がって行くのだけれどもです。
 私どもが、やっぱり屈してはならないという事は、反対の波紋が広がって行って、言うならば、そういう、金光教には言葉はないですけれども。キリスト教で言うところのサタンと申しますか。仏教で言うなら台場。言うなら、善に対するところの悪というものがあって。そういう魔人、悪人といったようなのがです、反対に人間を不幸にしよう、不幸にしようという働きもあるという事です。
 どんなにこちらが、真心を持って伝えて、光を与えようとしてもです。それを、吹き消そうとする働きがあるという事です。また、吹き消される場合もあるという事です。そこで、またそれに火を点じて、それを押し広めて行かなければならないという訳です。神様も、言うならばです、もう一生懸命でです。もうおかげの受け物はなくても、おかげを見せる、奇跡も見せるとこう言うておられる。そこに、神を信ずる氏子を一人でも多く、おかげを頂かせてやろうとなさる時代なのですから。
 私共もやっぱりその気になって。それこそ人の身が大事かわが身が大事か。人もわが身もみな人だと言う様な思いを持ってです。この世紀の大救済とでも申しましょうか。今ほどそういう働きが起こりそしてそれを受け。それを目指して行かなければならない時はない。そして地球がもう一度、甦る所のおかげを頂かなければならない。その時に初めて歓天喜地です。神も喜び氏子も喜び言うならば有り難い、悪のない善の世界に人間が極楽を楽しみ、合楽を楽しませてもらえる時期のいわば前提とも言えるのです。
 こういうギリギリの時にです。例えばお芝居なんかでも致しますように。もう愈々悪人は、はびこって、愈々もうその悪人の家ももう乗っ取られてしまう。愈々駄目だという時に、一人の忠臣が現れて、その悪を滅ぼして、それこそどんでん返し的な、その筋書きのお芝居なんかがありますようにです。もう本当に悪に悪がはびこって、もう地球上が破滅だ、お終いだと言う所の、もうわずか6千年の中の、言うならば5千975年ぐらいは、もう過ぎとるちゅうとこです。
 今の科学的な計算から行くと。もう後25年しか持てんと言ってるんです。そういう大事な時なんです。そこで合楽が今日こういう、尊い大きな働きに参画させて頂いて。合楽を芯とする所の、言うならば合楽に25年間、一生懸命信心のけいこをなさった皆さんがです、その参画者として運動員としてです。この運動を押し広めて行くその根本はどこまでも、人の身が大事かわが身が大事か。人もわが身もみな人であるという自覚に立つ。自分の言うならば兄弟が同胞が。
 もうそこに地獄落ちようとしておるのを救い上げなければおかんと言う様なです博愛の心を持って、私はこの合楽示現活動運動に参画させて貰わなければならんという風に思います。それには愈々私どもがです、心を大きくさせて貰う。私どもの先ずは極楽の自覚という事が言われますがね、それは結局心を豊に大きく持つと言う事です。小さい問題にもう顔色が変わる様な事では、とてもそういう運動に参画出来ません。大きな願いを持っておるのですからこの位な事は、有り難い一つ受けられるような。
 そういう修行を本気でさせて貰うてです。言うならば上から下へ水を流すように、神様が先に立って人類救済に乗り出してござる。そういう働きを現し得るのは、私は先ず今の合楽でなからなければ出来ないほどしのものを実は私は感じます。今日は御神前でこのプラスという字を、幾つも頂くんです。私と皆さんが言うならば繋がって行く。それに皆さんと自分の周囲というものが、つながって行く時に、初めてプラスと言う事になるのです。私と皆さんはそれこそ、親子以上というほどしにです。
 繋がっておりましてもです。是が横に広がって行かなければ、本当のプラスにはなりません。今日は宮野の教会で築水信徒会の信心研修会、共励会がある筈です10時からです。そこに宮野の教会の御信者さん方はここに幾人もお参りになって、宮野教会の繁盛を、皆さんが本気で願っておられます。そういう関係の教会です。どうぞただ合楽で稽古さえしときゃよかというのじゃなくてです。それが周囲の教会にも。昨日もある教会の若先生が見えられまして、ここでおかげ頂きましたと言うて言われるけども。
 何かこう動きなさらんです。何かこう頂きたいと言う様な感じです。近所隣におる教会の先生でしたから。本当に今合楽示現活動という言葉は使いませんでしたけれども。そういう大変な時期にある事ですから。もう本気で先ずは私どもが助かって、是を横へ広げて行けれる、原動力にもならなきゃなりませんねと言うて話した事ですけれども。そういう私どもは大変な、所謂大いなりようがが開けようか開けまいかと言う様な時代に。
 合楽に御神縁を頂いておる事の意義を、一つ悟らせて貰うて愈々自分の心を、小さい事で顔色を変える様な事のない、驚かんで済むような信心を。先ず頂いて初めて私が極楽であると言う事を悟らせて貰うのですから。その極楽をです自分の周辺に、愈々広めて行くのですから、光のいわば輪を書くように。それこそ燎原の火のように広がって行く筈ですけれども。それを消そうとする働きも、又あると言う事を分からせて貰うて。そこん所をです屈せず。示現活動にお互い参画させて貰わなければならんと思うのであります。
   どうぞ。